要旨
本レポートは、東北地方が有する再生可能エネルギー(再エネ)の豊富なポテンシャルを、地域経済の持続的な発展に繋げるための「コミュニティパワー」戦略について考察するものである。東北地方は国内随一の再エネ資源に恵まれているにもかかわらず、大規模な再エネ開発による経済的便益が地域外へ流出し、地域内での「富の循環」が十分に図られていないという深刻なジレンマに直面している。この課題を克服し、再エネを真の地域活性化の核とするためには、単なるエネルギー供給源としてではなく、地域全体の持続可能性を左右する「地域経営政策」として再エネを捉え直す必要がある。
分析の結果、ドイツの「シュタットベルケ」とデンマークの「サムソ島」の事例が、この「富の流出」というジレンマを克服するための有効なヒントを提供していることが明らかになった。シュタットベルケは、自治体が出資・所有する地域密着型の公共サービス事業体であり、エネルギー事業で得た利益を公共交通や上下水道といった他の公共サービスに再投資することで、地域内での資金循環と公共サービスの質の維持・向上を実現している。一方、サムソ島は、住民自身が再エネ事業の計画・実行の主役となり、風力発電所の共同所有を通じて売電収入を直接住民所得として還元することで、エネルギー自給と地域再生を達成した。これらの事例は、市民参加を事業推進の「コスト」ではなく、「最強の資産」として捉えることの重要性を示唆している。
これらの海外事例からの示唆に基づき、東北地方が取り組むべき研究テーマとして、以下の3点を提案する。第一に、東北の自治体が主体となり、再エネ事業を収益の柱とする新たな地域新会社(日本版シュタットベルケ)を設立するための事業モデル研究。第二に、東北の住民が地域の再エネ事業の「オーナー」へと転換するための、具体的な市民参加型資金調達スキームの設計。第三に、再エネ事業と、東北が持つ他の豊かな地域資源(農業、林業、漁業、観光)との連携によって生まれる相乗効果を定量的に評価・検証する研究である。これらの提言は、東北地方が再エネのポテンシャルを最大限に引き出し、地域経済の自律的な循環と持続可能な発展を実現するための具体的な道筋を示すものである。
序論
東日本大震災から10年以上の歳月が経過し、復興需要が徐々に収束しつつある現在、東北地方は新たな局面を迎えています。為替変動や原材料価格の高騰といった外部環境の変化に加え、全国に先駆けて進行する人口減少と少子高齢化、そして所得水準や一人当たり付加価値額の低さといった構造的な課題が、より一層鮮明に浮かび上がってきています [1]。
このような状況において、本レポートは、東北地方の地方自治体において産業振興を担う役職者が、今後の政策立案や事業構想の参考としうる、具体的かつ実現可能性の高い研究テーマの一つとして、「地域内経済循環を創出するコミュニティパワー事業」、すなわち再生可能エネルギーを核とした地域経営モデルの実現可能性を提示することを目的とします。このテーマは、東北地方が持つ固有の資産、特に国内随一の再生可能エネルギーポテンシャルを、単にエネルギー供給源としてだけでなく、地域経済の持続的な発展と地域内での「富の循環」を促進する新たなエンジンとして活用することを目指します。
本レポートでは、まず東北地方の再生可能エネルギーに関する現状と「富の流出」という課題を詳細に分析します。次に、海外の先進的な成功事例として、ドイツの「シュタットベルケ」とデンマークの「サムソ島」をベンチマークとして設定し、その成功の根底にある「仕組み(システム)」や「思想(フィロソフィー)」を深く掘り下げて分析します。そして、その本質的な成功要因を東北地方の社会的・経済的文脈にどのように応用できるのか、という戦略的な視点からの考察を行います。これにより、学術的な探求に終わらない、具体的な政策オプションに繋がりうる、実用性の高い提言を目指します。
第1章 東北の現状と課題
1.1. 東北の現状:国内随一の再エネポテンシャルと「富の流出」というジレンマ
東北地方は、その地理的・気候的条件から、再生可能エネルギー(再エネ)の宝庫と言えます。環境省の調査によれば、東北地方は陸上・洋上風力、地熱、中小水力、バイオマスといった多様な再エネ資源において、国内で最も高いポテンシャルを有する地域の一つです [2]。特に、日本海側と太平洋側の両方に広大な海域を持つ東北は洋上風力発電の適地であり、東北経済産業局の試算では、2040年までに最大900万kWという巨大な導入が見込まれています [3]。これは、東北が日本のカーボンニュートラル達成に向けた次世代のエネルギー供給拠点としての役割を担うことを意味します。東北電力も、水力・地熱発電における国内有数の実績に加え、風力発電を中心に200万kWの新規開発目標を掲げるなど、このポテンシャル活用に積極的に取り組んでいます [4]。
しかし、この大きな可能性の裏側で、地域は深刻なジレンマを抱えています。それは、エネルギー開発に伴う経済的便益が、必ずしも地域内に十分に還元されていないという「富の流出」構造です。現在、東北で計画・建設されている大規模な再エネ発電所の多くは、地域外に本社を置く大手エネルギー企業や商社、あるいは海外資本によって主導されています。その結果、発電事業によって得られた売電収入や利益の多くが、投資家や株主の配当として地域外へ流出しています。土地の賃料や一部の雇用は地域に落ちるものの、事業の根幹から生まれる付加価値が地域経済の循環に繋がりにくいという課題があります。エネルギーは地域で生産されながら、その富は地域を素通りしていく。この構造を転換しない限り、再エネは東北地方の持続的な発展のエンジンとはなり得ません。
第2章 海外先進事例の分析
2.2. 海外ベンチマーク分析:ドイツ「シュタットベルケ」とデンマーク「サムソ島」
この「富の流出」というジレンマを克服し、再エネを真の地域活性化の核とするためのヒントを、ドイツとデンマークの先進事例に見出すことができます。
統合的公共サービスモデル:シュタットベルケ
ドイツの「シュタットベルケ(Stadtwerke)」は、直訳すれば「都市公社」であり、自治体自身が100%または過半を出資・所有する地域密着型の公共サービス事業体です [5]。その最大の特徴は、電力、ガス、熱供給といった収益性の高いエネルギー事業と、公共交通、上下水道、市民プール、通信インフラといった、採算性は低いものの市民生活に不可欠なサービスを、一つの事業体で統合的に運営している点にあります [6]。この「統合モデル」により、エネルギー事業で得られた利益を、公共交通などの不採算部門の赤字補填に充当する「内部補助」が可能となります。これにより、シュタットベルケは、民間企業であれば撤退してしまうようなサービスも維持・向上させることができ、地域全体の公共サービスの質を高く保つことができます。このモデルがもたらす経済効果は絶大です。ある試算によれば、市民が大手電力会社に1ユーロの電力料金を支払った場合、地域内に還元・循環する資金はわずか11セント(約11%)に留まるのに対し、地元のシュタットベルケに支払った場合は29セント(約29%)が地域内に循環するとされています [5]。この差は、シュタットベルケが地元の企業から資材を調達し、地元の住民を雇用し、利益を地域のインフラに再投資することによって生まれます。ドイツ全体では、シュタットベルケが10万人以上の雇用を創出し、年間1.2兆円規模の資金を地域経済に還流させていると推計されています [5]。さらに、シュタットベルケは、市民の事業への理解と参画を促す仕組みも巧みに取り入れています。「市民エネルギー協同組合(Bürgerenergiegenossenschaft)」との連携や、ミュンヘン市営事業体(SWM)が実施する「M-Solar Sonnenbausteine」のような市民参加型ファンドを通じて、市民が再エネ事業の出資者・オーナーとなる道を開いています [7]。これにより、事業への経済的な貢献だけでなく、地域社会からの強い支持と信頼を獲得しているのです。
エネルギー自給による地域再生:サムソ島
デンマークの小島、サムソ島は、人口約3,700人の小さなコミュニティが、いかにしてエネルギーを自給し、地域を再生させたかを示す象徴的な事例です。1997年、デンマーク政府の公募に応じ、「自然エネルギー100%の島」を目指す国家的なモデルプロジェクトに選定されたサムソ島は、わずか10年後の2006年にはその目標を達成しました [8]。その成功の最大の鍵は、行政主導ではなく、住民自身が計画を立案し、実行の主役となった、徹底したボトムアップのアプローチにあります [9]。プロジェクトの中心人物となったのは、元中学校教師のソーレン・ハーマンセン氏。彼は、島中の住民と対話を重ね、「なぜ我々は再エネをやるのか」という根本的な問いから議論を始めました。その答えは、単なる環境問題への貢献ではなく、「人口減少や担い手不足といった地域課題の解決」と「再エネで生まれるお金を地域で循環させること」でした [9]。このビジョンの下、島内に建設された陸上・洋上の風力発電所の多くは、個々の島民や農家、あるいは住民が設立した協同組合によって共同所有されています [10]。これにより、売電によって得られた収益は、島外の資本家ではなく、直接島民の所得として還元される仕組みが構築されました。結果として、これまで島外から購入していた高価な化石燃料が不要となり、年間で推定1,000万〜1,500万デンマーク・クローネ(約1.6億〜2.4億円)もの資金流出が抑制されました [11]。さらに、この先進的な取り組みは世界中から注目を集め、「エネルギー観光」という新たな産業が生まれ、視察者の受け入れやガイドといった新たな雇用も創出されています [11]。
第3章 東北における研究の焦点と政策的インプリケーション
ドイツのシュタットベルケとデンマークのサムソ島の事例は、東北地方が再エネのポテンシャルを最大限に引き出し、地域経済の自律的な循環と持続可能な発展を実現するための重要な示唆を与えてくれます。これらの事例から共通して言えるのは、再エネ事業を単なる「発電事業」として捉えるのではなく、地域全体の「経営」という視点から捉え、住民や自治体が主体的に関与する「仕組み」を構築することの重要性です。特に、再エネ事業から生まれる「富」をいかに地域内に留め、循環させるかという視点が不可欠です。
これらの分析に基づき、東北地方の自治体が取り組むべき研究テーマとして、以下の3点を提案します。
地域新会社設立に向けた事業モデル研究
東北の自治体が主体となり、再エネ事業を収益の柱とする新たな地域新会社(日本版シュタットベルケ)を設立するための事業モデル研究。ドイツのシュタットベルケの成功要因 [5, 6] を詳細に分析し、東北地方の法的・経済的・社会的な文脈に適合する組織形態、事業範囲(エネルギー事業に加えて、公共交通、上下水道、地域熱供給など、どのような公共サービスを統合するか)、資金調達戦略、そして収益を地域に再投資する仕組みを具体的に設計する。特に、既存の電力会社やガス会社との連携・協調の可能性も探る。
市民参加型資金調達スキームの設計
東北の住民が地域の再エネ事業の「オーナー」へと転換するための、具体的な市民参加型資金調達スキームの設計研究。デンマークのサムソ島の住民共同所有モデル [10] や、ドイツの市民エネルギー協同組合 [7] を参考に、小口投資を可能にするファンド組成、クラウドファンディングの活用、地域通貨との連携など、多様な資金調達手法を検討する。これにより、住民が事業の経済的便益を直接享受できる仕組みを構築し、事業への関心と参画意欲を高めることを目指す。
再エネと地域資源の連携による相乗効果の評価
再エネ事業と、東北が持つ他の豊かな地域資源(農業、林業、漁業、観光)との連携によって生まれる相乗効果を定量的に評価・検証する研究。例えば、再エネ由来の電力を用いたスマート農業の推進、林業残材を活用したバイオマス発電と地域熱供給、漁業における再エネ利用によるコスト削減、再エネ施設を観光資源とするエコツーリズムの推進など、具体的な連携モデルを構築し、その経済効果、環境効果、社会効果を多角的に分析する。これにより、再エネが地域経済全体に与える波及効果を可視化し、より広範なステークホルダーの理解と協力を得ることを目指す。
結論
本レポートでは、東北地方の持続的な発展に向けた「コミュニティパワー」戦略の実現可能性について、その現状と課題を分析し、ドイツのシュタットベルケとデンマークのサムソ島の成功事例から得られる示唆を基に、具体的な政策的インプリケーションを提案した。東北地方は国内随一の再生可能エネルギーポテンシャルを有しているにもかかわらず、大規模な再エネ開発による経済的便益が地域外へ流出し、「富の流出」という構造的な課題に直面している。この課題を克服するためには、再エネを単なるエネルギー供給源としてではなく、地域全体の「経営」という視点から捉え、住民や自治体が主体的に関与する「仕組み」を構築することが不可欠である。
ドイツのシュタットベルケは、自治体が出資・所有する地域密着型の公共サービス事業体として、エネルギー事業で得た利益を他の公共サービスに再投資することで、地域内での資金循環と公共サービスの質の維持・向上を実現している。一方、デンマークのサムソ島は、住民自身が再エネ事業の計画・実行の主役となり、風力発電所の共同所有を通じて売電収入を直接住民所得として還元することで、エネルギー自給と地域再生を達成した。これらの成功モデルは、東北地方が目指すべき方向性を示唆している。すなわち、東北の自治体が主体となり、再エネ事業を収益の柱とする新たな地域新会社(日本版シュタットベルケ)を設立すること、そして住民が地域の再エネ事業の「オーナー」へと転換するための市民参加型資金調達スキームを設計することである。さらに、再エネ事業と東北が持つ他の豊かな地域資源との連携によって生まれる相乗効果を評価し、より広範なステークホルダーの理解と協力を得ることも重要である。
これらの提言は、東北地方が再エネのポテンシャルを最大限に引き出し、地域経済の自律的な循環と持続可能な発展を実現するための具体的なロードマップとなる。本構想の実現は、東北地方の地域経済に新たな活力を与え、人口減少や少子高齢化といった構造的課題の解決に貢献し、ひいては日本のエネルギー自給率向上と地域活性化に寄与するものである。今後、これらの研究テーマを具体化し、関係機関との連携を深めながら、実践的な取り組みを進めていくことが期待される。
参考文献
[1] 東北経済産業局. (2023). *東北経済の現状と課題*. 経済産業省.
[2] 環境省. (2023). *再生可能エネルギー導入ポテンシャル調査*. 環境省.
[3] 東北経済産業局. (2023). *東北地域における洋上風力発電導入の可能性*. 経済産業省.
[4] 東北電力. (2023). *再生可能エネルギーへの取り組み*. 東北電力.
[5] 日本経済新聞. (2016, 11月22日). ドイツの「シュタットベルケ」とは. *日本経済新聞*.
[6] 資源エネルギー庁. (2015). *ドイツのエネルギー転換とシュタットベルケ*. 経済産業省.
[7] 独立行政法人経済産業研究所. (2015). *ドイツにおける市民エネルギー協同組合の役割*.
[8] サムソ島エネルギーアカデミー. (2023). *The Samsø Energy Story*.
[9] ハーマンセン, S. (2014). *サムソ島の挑戦:エネルギー自給と地域再生*. 築地書館.
[10] サムソ島エネルギーアカデミー. (2023). *Wind Turbines on Samsø*.
[11] サムソ島エネルギーアカデミー. (2023). *Economic Impact*.